大雑把に一言で言ってしまえば、400年前の流行歌。
教会で歌われていた宗教曲に対して、教会の外で楽しまれていた世俗曲。
歌の内容はといえば、大体が惚れた腫れたの恋愛物。
死にそうなくらい猛烈な片想いあり、ちょいと官能的なのあり、エトセトラ。
時代・お国はちがえども、人間あまりちがいはないようで・・・。
良い詩があると、その詩に曲をつける、という順番だったそうな。
良い詩には、多くの作曲家が曲を作るので、競作となるのが一般的。
当然作曲家は詩を大事にし、歌詞の内容がよく伝えられるように、言葉が活きるように、作曲技法に工夫を凝らす。
およそ100年間にわたる幾多の作曲家の創意工夫・切磋琢磨が積もりに積もって、
ルカ・マレンツィオ、ジェズアルド、モンテヴェルディで頂点に。
モンテヴェルディはオペラの作曲者としも有名。
マドリガーレは多声曲。
4声・5声が中心ですが、6声や8声なんてのも!
一緒に歌う仲間がいなきゃ始まりません。
当時は各パートのリズムが別の動きをするポリフォニーが一般的。早い話が縦の線が揃っていない。
聖徳太子じゃあるまいし、5人がてんでにしゃべったらほとんど聞き取り不能。
詩を大事に、歌詞の内容を伝えるどころじゃありません。
じゃあ、ということで一つのパートが主旋律を受け持って、他パートが伴奏を受け持つホモフォニーへ。
一方、その「良い詩」とやらを作った代表選手がペトラルカ。彼の『カンツォニエーレ』というイタリア語の詩集は大人気。
ペトラルカが終生愛し続けたラウラへの想いがこの詩集の大部分。
ところでこのラウラさん、実在したのか架空の女性なのかは謎だとか。
ペトラルカは14世紀の人。時あたかもイタリア・ルネッサンスの時代。
それまで“文芸作品はラテン語で書く”のがお約束だったところ、初めてのイタリア語詩集を上梓。
それから200年経った16世紀、ペトラルカのポケット版詩集を持って歩くのが大流行。・・・愛は不滅だ~!。
世俗曲といっても、詩も曲も最高水準の芸術作品。
そりゃそうです、こういう「マドリガーレ」を楽しんでいた世俗の人々とは、貴族だったのですから。
ごちゃごちゃ書きましたが、「百聞は一見に如かず」ならぬ「百読は一聴に如かず」ということで・・・
♪ YouTube ラ・フォンテヴェルデ 演奏 ♪蛇足ではありますが、プロのように一パート一人で歌うなどということは、難しいです。
ですから、私たちはみんなで歌います。